2006年07月19日

第二の人生は南の島で 楽園

第二の人生は南の島で 楽園

市街地からはずれた高級マンションの一室。伊藤順子さんが電子オルガンで奏でるヒット曲「花」に窓際のソファーに座った母節子さんが聴き入る。

「荷物をまとめるのに1カ月、届くのに2カ月。3カ月ぶりに惹いたら手足が自分のものじゃないみたい」

順子さんは約27年営んだ音楽教室をたたみ、5月半ば、先代から2人でマレーシアのサバ州コタキナバルに引っ越した。

マレーシア政府が推薦する「マイ・セカンド・ホーム・プログラム」に節子さん名義で申請しているところだ。主に中高年を対象に、定期預金などの一定額条件を満たせば10年有効のビザ(査証)が取れる。04年まえに英国、中国、インドネシアなどの約3400人が取得している。

独身の順子さんは10年くらい前から、いずれは南の島で暮らそうと考えていた。昨年10月、マレー半島西部のペナン島とコタキナバルを下見した。さわやかな風が吹くコタキナバルが気に入った。

両親とともに12月、再度下見した。パーキンソン病を患う節子さんは「暖かいと体調がいい。それに長い間頑張って働いてきた娘がどうしても、というのだから」と同行を決めた。

父は「日本男児がなM¥んで海外にすまなきゃならないんだ」と言って先代に残った。

仙台の自宅では、節子さんは、張って室内を移動する事もあった。今は室内は一人で歩けるが、外出には車椅子を使う。「車椅子のせいか、地元のみなさんはともて親切よ。段差のあるところではとしかさの人が若い人に移動を手伝うように促してくれる」

マンションはベッドルームが3つと、居間、台所が付いて月額約4万5千円。預金金利や65歳からもらえる年金を慎重に計算した。

窓からは住宅街の向こうに熱帯の緑が望める。「日本が嫌いになったというわけではない。でも正直、戻るつもりはありません」と順子さんは話す。


以上新聞紙面より引用



posted by ブログメッセンジャー at 14:47| 広島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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