2006年09月28日

平壌着陸 緊張の極限 元よど号機長・故石田真二さん

平壌着陸 緊張の極限 元よど号機長・故石田真二さん

70年3月の日航機よど号乗っ取り事件の際に機長で、8月13日に83歳で亡くなった石田真二さん=大阪府岸和田市=が生前、事件の経緯や自身の生涯を手記に書き残していた。乗っ取りの瞬間も「恐怖心はなかった」が、誘導等も無線交信もない夕闇の中を平壌の飛行場に着陸したときが「一生のうちでもっとも緊張した」と回想している。

○ 乗っ取り事件 手記に残す

手記は原稿用紙90枚余。石田さんが01年、78歳で警備会社を退職した後で書いた。(以下カッコ内は手記からの引用部分)

事件が起きた70年3月31日は、国内線乗務最終日。翌日から国際線に移ることが決まっていた。

<気流が穏やかなのに、機首が下がる手ごたえを操縦かんに感じた>

客室で人が前方に動き、機体の重心が移ったからだった。

<と同時に、若者4.5人が日本刀を手に操縦室に押し入った>

石田さんは戦時中、夜間特別攻撃隊の教官を務めたが、出撃命令直前に終戦を迎えている。

<戦時中は特攻隊で生死の境をさまよい、長いパイロット生活で危険な目にも遭ったせいか、恐怖心は無かった。若者たちののほうが顔面蒼白、大変緊張していた>

犯人らは「平壌へ行け」と要求。「燃料補給の必要がある」と説明、福岡着陸を納得させた。

北朝鮮に行こうにも情報がない。福岡空港で差し入れられた、朝鮮半島全島内の白地図一枚だけが頼りだった。

<福岡から北緯38度線まで33分北進し、左旋回して平壌まで計1時間4分、と飛行計画を作成した。28年前)の訓練生時代)に習得した航法技術が活用できるとは夢にも思わなかった>

朝鮮半島上空に入り、無線で平壌の管制管を呼ぶが、返答が無い。

<しばらくたって「こちら平壌進入管制」と流暢な英語で応答があった。不思議に思ったが、疑心暗鬼のまま着陸した。韓国の金浦空港だった>

金浦空港では山村新治郎・運輸政務次官が人質の身代わりを申し出て、乗客ら約100人が解放された。

<犠牲者も無く、機長としての責任は一応はたした。犯人を送る場合命の安全など考える必要はなく、貨物輸送と同じで気が楽になる>

韓国をたち平壌に向かったが、視界が悪く空港が見つからない。無線の応答もない。

<雲の隙間から地上に一本の線を発見。日が沈んで真っ暗な中を着陸した。設置の瞬間、車輪が吹き飛ばされそうなほど揺れた。何十年のパイロット生活で一番緊張し、危険を感じた>

犠牲者ゼロで無事期間、佐藤栄作首相から顕彰された。だが有名になって私生活を暴かれ、2年後に日航を退職。小型機パイロットや漬物店経営など職を転々とし、晩年は警備会社に勤めた。

<起伏の激しい人生体験も珍しい、と他人は言う。よど号事件がなかったら、このような苦労はなかったはずだ>

05年に入院、肺がんが見つかった。長女の渡辺妙さんによると、集中治療室で意識が朦朧とする中、メモ帳に「ハイジャック」「けいさつ」と記した。眠りながら操縦桿を握る格好をし、目覚めて「あぁ、夢か、墜落するところだった」と語った。(手記の詳細は、週間朝日10月6日号で紹介される)。



以上新聞紙面より引用




さらば「よど号」!
http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/0151a130.f21fcf58/?url=http://item.rakuten.co.jp/book/815372/

よど号と拉致
http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/0151a130.f21fcf58/?url=http://item.rakuten.co.jp/book/1685587/

「よど号」事件122時間の真実
http://pt.afl.rakuten.co.jp/c/0151a130.f21fcf58/?url=http://item.rakuten.co.jp/book/1418972/



posted by ブログメッセンジャー at 09:08| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 得ダネ ニュース 号外!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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